繭姫祭り実行委員と未来大橋開通式
みらいの地域コーディネーター大矢に、地方創生について「広く熱く」語っていただく当コーナー。
現在、熊本県・天草市を主な拠点とし、“地域コーディネーター”として地方創生事業を行っている大矢。今回は天草に拠点を移し間もない頃の印象的なエピドートについてお話をお聞きします。
天草の地で地方創生を志す大矢が、どうやって地域のコミュニティに入っていったのかーー。そこには事業を進める上での大切なヒントがあったようです。
早速インタビューしてみましょう。
これまで天草の方々と関わる中で、とくに思い出深い出来事はありますか?
天草に来て3年半になりますが、印象的なのは「繭姫祭り」に実行委員として関わっていることです。このお祭りはかつて養蚕業が盛んだった天草にちなんだ夜祭りで、桜が咲く季節に行われるものです。地元の方たちが「地域を盛り上げたい」と始めたもので、正式名は「繭姫通り おんなの夜祭り」というのですが、20年以上も続いていて、屋台や花嫁行列などが見どころなんです。
天草市の企業誘致動画の制作をしていた時、ご出演いただいた車海老養殖業を営む方と出会い、天草のキーマンとなる方を何人か紹介していただきました。その中のひとりが、地元で飲食店を営む傍ら『アマゾーヌ』という女性経営者団体で地域活性化の活動をされている方でした。
彼女がさらに、「私も大矢さんに会ってもらいたい人がいる!」 と言って、繭姫祭りの立ち上げた張本人である、老舗お寿司屋の女将さんを紹介してくれたんです。
女将さんにも、私が天草で何をしたいのかをお話させていただきました。何度がお話していくうちに「あんたも入らんね?」と、繭姫祭りの実行委員に声をかけていただきました。女将さんも天草を想い、長年繭姫祭りを引っ張ってこられた情熱家。私の〝想い″を感じとってくださったのかもしれません。
実行委員として、具体的にどんな活動をされたのですか?
運営の準備を行っていた頃、繭姫祭りの花嫁行列で提灯持ちが一人足りないという話があり、私に依頼がありました。大役だったのでとても驚きましたが、せっかくのお話なので、勇気を振り絞って担わせていただいたのですが、地元の方々も「大矢さん、天草来たばかりなのにすごいね」と言ってびっくりされていました(笑)。
さらに2回目の繭姫祭りでは、東京から天草に進出した企業の代表と一緒に提灯持ちを務めました。また、2023年2月に開通した「天草未来大橋」の開通式では、実行委員代表として“開通直前の橋を先頭で歩く”という貴重な経験もさせていただきました。
そうですね。地元の人々とつながり、重要な役割を任せてもらえたことは、外から来た私にとって光栄であり、活動への自信にもつながっています。今振り返ると、大きな転機だったなと感じますね。
「私でいいのかな」というのが正直な気持ちでしたね。これまで天草に貢献されてきた大勢の方がいらっしゃる中で、実行委員としても日が浅い私がやっていいのかなと。ただ役割をいただいた以上は、しっかりやり遂げようと思いましたね。
なぜ天草の方は、大矢さんを受け入れてくれたのでしょう?
私自身がなにかすごいことをしているわけではなく、天草の方の寛容さが大きいと思います。私はシンプルに「天草で何をしたいのか? それが今後の天草や日本の発展にどうつながるのか? 」を伝え続けてきました。そうしていくうちに「大矢さんにやってもらおう」と、周りが持ち上げて場を用意してくれるんですよね。強いて言えば、想いを伝え続けたからかもしれませんね。
なるほど、「想いを伝え続けること」の大切さですか。
私は決してすごい発明のようなことをしているのではなく、やっていることは当たり前のことばかりなのです。ただそれをひたすらコツコツやり続けているうちに「天草で面白い話を聞いた時には、いつも大矢さんがいる」と、私に会いにきてくれる人が増え、協力してくれる人たちも増えていったんですよね。
私は本当に人に恵まれていると思います。天草にきて間もない頃出逢った方々とは、今でも仲良くさせてもらっています。そしてそこで思うのは“誰のつながりで知り合ったか”がすごく大切だということですね。
たしかに大事な出逢いは、つながりから生まれますよね!
そうなんです。縁もゆかりもない私を受け入れてくれて、「地方で雇用を創出するモデルをつくりたい」という想いを形にしようと、いろいろな方が協力してくれています。私ひとりの力では成しえなかったことが、たくさんの方々が力を貸してくれたことにより今があるんだなと思います。
地方創生の想いを伝え続けることで、周りに仲間が増えていくーー。
一見シンプルそうに見えますが、大矢さんらしさが垣間見えるエピソードですね。
ありがとうございます。
今回は、大矢が天草で地方創生事業を行う上で転機となった出来事について語っていただきました。
次回は、天草の女性経営者団体『アマゾーヌ』についてお話いただきます。お楽しみに!
天草愛、つながる出会い
みらいの地域コーディネーター大矢に、地方創生について「広く熱く」語っていただく当コーナー。
現在、熊本県・天草市を主な拠点とし、“地域コーディネーター”として地方創生事業を行っている大矢。今回は、これまでの天草での生活について、プライベートな面も含めてお話をお聞きします。
縁もゆかりもない天草の地で、これまで数多くの出会いを経て、地域の方々の温かさに触れる中で、地方創生にとって大切なことを学んだようです。早速インタビューしてみましょう。
縁もゆかりもない天草の地に行き3年半が経ちました。当初は知り合いゼロの状態でしたが、今ではたくさんの方とつながることができ、公私ともに天草での暮らしを楽しんでいます。
すばらしいですね。地元の方々との交流はどのように深めてきたのでしょう?
地域のコミュニティの中に自分が入り込もうと考えていたので、とにかく“時間”=長期滞在が必要だと思っていました。その際まず問題となるのは「住まい」でした。月の三分の一ほどを天草で過ごそうと思っていたので、荷物の置き場も含めて、拠点にできる場がほしかったんです。
そこで、とある旅館に下宿させてくれないかとダメ元で頼みにいきました。地元に古くからある老舗の旅館で、天草へ来た経緯をお話しすると「いいわよ」と言って、住まわせてくれたんです。
もちろん「これから企業の誘致を行うので、お客さんもたくさんご紹介します!」と意気込みをお伝えしましたが、今思うと、得体の知れない私によく部屋を貸してくれたなと思います(笑)。
すごく温かい場所でしたね。旅館の清掃の方たちとも仲良くなって、東京から戻るたびに「お兄ちゃん帰ってきたのね、おかえり」と迎え入れてくれるんです。それこそ我が家に帰ってきたような感じでした。ひとりで天草に来ている私にとっては、とてもありがたい環境でした。
地元で長く旅館業を営んでいらした女将さんたちは顔が広く、地元の人にもすごく顔がきくんですよね。
もちろん私も恩を受けてばかりではいけないと、進出企業の方などが天草にいらした際には、その旅館をご紹介するなどしていました。
はい、今はその旅館もリニューアルしていますが、天草ではじめての暮らしをそこで過ごせてよかったです。
それから、もうひとり、天草で私が母のように慕う方との出会いもありました。
よく通っていた飲食店の方に紹介されて知り合ったまゆみさん(仮称)です。私が天草でこれからやろうとしていることを話すと、「難しいことはよくわからないけど、一人でご飯食べるんだったら、いつでもうちにいらっしゃい」と言っていただいて。天草に行くときは「天草に戻りました!」と連絡して、お邪魔していました。
まゆみさんは本当に懐の深い方で、誰にでも息子・娘のように接してくれる方なんです。
そして私がご自宅にお邪魔する度に、「大矢さんに会わせたい人がいる」と誰かを誘ってくださっていて。
すごく明るく社交的な方で、まちのキーマンとなるような方もたくさんご紹介いただきました。
他にも「“もっくん”はいつも気を使い遣いっぱなしだから、私たちの前では普段どおりでいいんだよ」と、私のことを愛称で呼んで度々飲み会を開いてくれる方もいますし、天草での車や住まいなど、私の暮らしにまで気にかけてくれる方もいて。そんな出会いや心に残るエピソードを挙げれば、枚挙にいとまがないです。本当に感謝しています。
そういったご縁をつなぐことで交友関係を広げてこられたのですね。
ありがたいことに、地元で開催される「繭姫祭り」の実行委員や、「天草ほんどハイヤ祭り」の審査員を務めさせていただきました。しかも、自らやらせてほしいと頼んだことではなく、周りからお声がけいただいた役割ばっかりなんですよ。みなさん「大矢さんがこのまちのために頑張っているんだから、みんなで後押しようよ」という想いで、巻き込んでくれているのかなと感じます。
滞在した時間の長さもあるとは思いますが、先日もとても嬉しかったエピソードがあるんです。
現在とある新たなプロジェクトを立ち上げていて、その協賛チラシを持って地元の飲食店に伺った時のことです。社長の女性が「私は何を協力したらいいの?」と尋ねてくれたんです。「チラシを置いてプロジェクトの宣伝に協力してほしいです」と伝えると「わかった!置いてって」と。
「とにかく大矢さんが言ってくることは、“全部天草のためだから”。だから私たちは協力するんですよ」と話してくださいました。その時同行していた大学の先生は「『私は何すればいいの?』って言葉はなかなか出てこないよ」と、とても感心されていました。
きっと地元の方々は、私のことを「天草のために動いている人」と認識してくれているんだと思います。大好きな地元・天草のために一生懸命やってくれているから、しっかり応援したいと思ってくれているのではないかと。
「天草のためにありがとう」って声をかけられることも多いですね(笑)。
天草の方が地元を愛する想いと、大矢さんの想いがリンクしていますね!
私自身、天草で「地方に溶け込む際に大切なこと」を学びました。ひとつは“そのまちを愛すること”。そしてもうひとつは“周りの人たちに感謝をすること”です。そうすれば、その地域に暮らす方々とも分かり合うことができ、絆や輪が広がっていくと思います。それは今も訪れる土地土地で、大切にしています。
その地を愛する想いと周囲への感謝の心。それは地方創生を行う際にもとても重要なことなんですね。
ありがとうございます。
今回は、大矢が天草の方々との絆をどのように深めていったのかについて語っていただきました。
次回は、繭姫祭り実行委員と未来大橋開通式についてお話いただきます。
お楽しみに!
2021年3月26日~運命の日~
みらいの地域コーディネーター大矢に、地方創生について「広く熱く」語っていただく当コーナー。
現在、熊本県・天草市を主な拠点とし、“地域コーディネーター”として地方創生事業を行っている大矢。今回は大矢が天草へ拠点を移す決断をするきっかけとなった、運命的なエピソードについてお聞きします。
2021年3月26日。
その日の出会いは、天草行きを前に、期待と不安が入り混じっていた大矢の背中を押してくれる、大変特別なものだったそうなのです。早速インタビューしてみましょう。
そうなんです。私が天草で事業を立ち上げようと決意したのは、コロナ禍だった2021年のことでした。当時は年間400以上の自治体から相談を受け、毎日のようにWEB会議をしていて。未知のウイルスへの不安と闘いながらも、地域の活性化を願い、懸命に駆け回る自治体職員の方々の姿に感銘を受け、私自身も「地方自治体の方々の希望となるモデルをつくりたい、それが自分のやるべきことなのでは・・・」という使命感に駆られていました。
新たに事業を立ち上げることには正直迷いもあったのですが、とある日の出会いが私の背中を押してくれたんです。
今も鮮明に覚えている2021年3月26日のことです。この日私は、天草で事業を本格的にスタートするきっかけをつくってくれた、とても大切なおふたりに出会いました。
ひとりはDHE 柳原さん、もうひとりは熊本日日新聞社 町野さんです。 当日、熊本市でセミナー登壇のお仕事があったのですが、そのセミナーの運営をしていたのが柳原さん、イベント会場の施設長を務めていたのが町野さんだったんです。
左前方:柳原さん、左後方:大矢、右:町野さん
おふたりはどんな方ですか? まずは柳原さんから教えてください!
柳原さんは地域活性化を目指し、地域資源の発掘や有用化を通じた観光地ブランディングなどを手掛けていらっしゃる方で、私が「師匠」と慕っている方です。
そうなんです!私は天草市で、地方創生のモデルをつくろうと様々な取り組みをしていますが、柳原さんは同じ熊本県内の自治体で、赤字施設を黒字転換したり、ふるさと納税寄付額を大幅に増額したりと、まちの立て直しに貢献されている方です。
実は3月26日のセミナー後、その足で初めて天草に向かう予定になっていたのですが、少なからず不安もあり、懇親会でご一緒させていただいた柳原さんにお話させていただいたんです。「天草で地方創生のモデルをつくりたい」という私に対し、「そこまで事業が描けているなら、絶対に行くべきだと思いますよ」と柳原さんがおっしゃってくださって。その言葉に背中を押され、天草へ向かいました。
大矢さんの天草行き決断の陰には、柳原さんの存在があったのですね!
そうですね。迷いがなかったかというと嘘になりますが、実績を残してきた柳原さんが後押ししてくださったのは本当に大きかったですね。
柳原さんとは今でも、一緒にお仕事をさせていただいています(笑)。
素敵な出会いだったのですね。町野さんについても教えてください!
町野さんは新聞社の方なのですが、3月のセミナーでお会いした際、限られた時間でしたがお話させていただき、すぐに意気投合しました。その時は、私が天草へ行くことを決断する前だったので、詳しい話はしていなかったのですが、2ケ月後の2021年の5月に、偶然の巡り合わせがあったんです。
そうなんです。当時、私が立ち上げ準備を進めていた天草市のテレワークセンター「あまスタファロール」に、町野さんが訪ねてこられたんです。私は不在だったのですが、スタッフから「熊日の町野さんという方が見えてます」と連絡をもらい、すぐに携帯へ電話をしました。まさか私が天草で新たな取り組みを始めるとは知る由もない町野さんは、驚くのと同時に、なんだかワクワクしている感じが伝わってきました(笑)。
さらに詳しく伺うと、私が天草でやりたかったことと、町野さんが関わっている事業の取り組みはとても親和性があって。そこからテレワークセミナーや体験ツアーの開催などで連携もさせていただきました。さらにお仕事だけでなく、その事業のネットワークを通じて、熊本県内各地のキーマンたちとも出会うことができたんです。
今も交流のある熊本県内のコワーキング施設や、シェアオフィスの運営者の方とも、その時つながることができました。「地域を盛り上げよう」と、熱い想いをもって行動されている方ばかりで、お互いの活動に刺激をもらったり、時には一緒に誘致活動を行なったりと、ともに切磋琢磨しあえる仲間と出会えました。「あまスタファロール」を運営していく上でも、当時出会った方々との連携というのはすごく大きかったなと思います。
おふたりとの出会いをきっかけに、ご縁がどんどん広がっていますね!
柳原さんや町野さん、そして天草でできたご縁が、現在も大きく広がっているんですよね。そう思うと、2021年3月26日の出会いは、私にとっては宝物のようだったなと今でも思っています。
大矢さんはご縁をとても大切にされていると感じますが?
私は、周りの方々にたくさん手を差し伸べてもらったおかげで、いまの自分があると思っています。だから私も人との出会いを大事にしたいし、常にどんなことでも受けられるような柔軟な思考を持つことを大切にしているんです。出会った人との人間関係を大事にしていくことで、またその先につながっていくんですよね。
人を大事にする人が、結局素晴らしい人たちに囲まれるんじゃないかなって思っています。
たくさんの方とのご縁を大切にされているからこそ、今の大矢さんがあるのですね。
ありがとうございます。
今回は、大矢が天草行きを決断するきっかけとなった、運命的な出会いについて語っていただきました。
次回は、天草の方々との交流の中で学んだことについてお話いただきます。
お楽しみに!