直方での初の大型案件、そして人生を変えた出会い

みらいの地域コーディネーター大矢に、地方創生について「広く熱く」語っていただく当コーナー。
今回は、大矢が初めて自治体の大型事業に携った際のエピソードについてお聞きします。
現在の地方創生事業の根幹となっている多くの学びを、このプロジェクトから得たそうですが、どのような出会いだったのでしょうか? 

初の大型案件を担当されたのは、どちらの自治体ですか? 

福岡県北部の直方市です。北九州市に隣接する人口5万人ほどの市で、明治時代以降は石炭の産地として栄えたところです。日本の産業発展・近代化に貢献してきた歴史ある市ですね。 

お仕事をされたのはいつ頃ですか?

2020年です。直方市役所の方から「IT企業を誘致したい」というご相談をいただいたのがきっかけで、企業誘致とデジタル人材育成に関する提案をしました。 

気になる結果はいかがでしたか? 

私自身が行政と大きな仕事をするのが初めてで、手探りで始動した案件でしたが、結果的に半年間で6社のIT企業誘致を行うことができました。 

初めての事業で幸先の良いスタートでしたね。 

当時、地元の新聞やテレビなどにも取り上げていただきました。直方市との事業は、実績だけでなく、私にとって、とても思い出深いものなんです。現在の地方創生事業でも大切にしている4つのことを、ここで学びました。 

「地方創生事業を行う上で大切なこと」といいますと? 

1つ目は、当時の直方市役所の担当職員の方が、この事業が終了する最後のミーティングで話してくださった言葉です。かつて炭鉱の町として栄えた直方市は、閉山後は活気がなくなり、駅前の商店街もシャッター通りになっていました。そんな中、誘致した企業がテナントに入ったことで、シャッターがいくつか開いたんです。その様子を受けて「市役所内の皆がこの事業に関心を持ってくれたことが一番嬉しい」と。 

市職員の方の言葉からどんなことを感じられたのですか? 

“結果を出すことの大切さ”です。「自分たちが描いた事業を認めてもらうためには、結果を出すことが一番大切だ」と職員の方がおっしゃっていて。それが何よりの証明になるということを肌で感じましたね。 
それから、市役所の職員の方でもうひとり、私の人生を変えてくれた方との大切な出会いがあります。 

大矢さんの人生を変えるほど!
どんな出会いだったのでしょうか? 

直方市との事業は、まさにコロナ禍真っ只中に行われたのですが、行動制限も多い中で「なんとかこの街を盛り上げたい!」と懸命に動いておられた職員の方がいたんです。
その姿は私の仕事観にも大きな変化をもたらすほどでした。しかし最後のミーティングで、その方がすごく落ち込んだ様子で……。お話を聞くと、次年度から部署が異動になってしまうそうで「せっかく6社もの企業が直方に来てくれるのに、自分が異動するのが悔しい」と――。その姿を見て、私の中の考え方が大きく変わりましたね。 

大矢さんにとって、どんな変化があったのでしょうか? 

私がこの先もこの事業をやっていくということは、直方市の職員の方のように熱い思いを持った方たちと一緒に仕事をするということ。そんな方たちに恥ずかしくない事業をやっていきたいと思うようになりましたね。 

直方市役所の方々の姿が、地方創生事業に本腰を入れるきっかけになったのですね。 

たとえ企業を誘致できたとしても、補助金が切れたり、土地に馴染めなくて企業が撤退したりするような誘致だと、その企業で働く人たちの生活に支障が出てしまいます。「企業誘致は人の人生を大きく変えるんだ」と思った時に、私の考え方が変わりました。これが地方創生事業を行う上で大事にしている2つ目の気づきです。
このことに気づいた時、「地方創生は、東京からたまに出張した位で実現できるものではない」「自分が地方の人になろう!」天草を拠点にすることを決意したんです。直方市の職員の方々との出会いがなければ、私は今、天草でこの事業をしていなかったと思います。 

素敵な出会いだったんですね!他にも直方市での印象的な出来事はありましたか? 

地元の工場の社長・藤本さん(仮)との出会いも印象的でした。視察ツアーで工場を訪問させていただき、夜の懇親会でも一緒に盛り上げてくださって。「直方はいいところだから、この町にきたら俺になんでも相談して」って言ってくださり、進出する企業にとっても、とても心強い存在だったと思います。
私が地方創生事業で大切にしていることの3つ目、「信頼できる地元の方と繋がること」を教えてくれた出会いでしたね。 

その土地のことは、その土地の方に聞くのが一番なんですね。 

その通りです。一方で、地元の方だからこそ見逃している魅力に、私たちが気づくこともありました。直方市には『石炭記念館』という施設があります。実は、当初は視察ツアーの工程に入っていなかったのですが、町の歴史を伝えたいと考え紹介することになりました。
ツアーでは館長さんが、「直方市が明治時代~戦時中、石炭でいかに日本を支えてきたか」といったお話をしてくださいました。その熱い思いに共感した企業の方が「コロナ禍で社会が閉塞的になっている今だからこそ、直方から日本を勇気づけたい!」との動機で進出を決められたということがありました。 

大矢さんの一言がなかったら、その進出はなかったかもしれませんね。 

私が地方創生事業で大切にしていることの4つ目、「地元にとっての当たり前は、外から来た人にとっては当たり前ではない」ということも、直方市での経験から学んだことなんです。 

直方市での数々の出会い・学びがあったからこそ、現在の地方創生事業があるのですね。 
ありがとうございます。 

今回は、大矢が初めて本格的な地方創生事業に携わった直方市での、人生を変えた出会いや、現在の地方創生事業で大切にしていることの原点について語っていただきました。 
次回は、東京出身の大矢が「自らが地方に行こう」と決意し、二拠点生活を始めた時のお話を伺います。
お楽しみに! 

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