自らが地方に行こう!〜天草とのご縁~

みらいの地域コーディネーター大矢に、地方創生について「広く熱く」語っていただく当コーナー。 
現在、熊本県・天草市を主な拠点とし、進出企業と地域との橋渡し役になるべく活動している大矢。今回は、地域コーディネーターとして活動をはじめたきっかけや、地方に拠点を移そうと思った理由、そしてなぜ天草という地を選んだのかについてお聞きします。

 
東京から地方創生事業に携わっていた大矢が、縁もゆかりもない地に移住することを決意した理由とは?
早速インタビューしてみましょう。

大矢さんが地方に拠点を移されたのはいつ頃ですか? 

2021年の7月です。当時はコロナ禍ということもあり、多くの地方自治体から地方創生事業に関するご相談をいただいていました。その中で私自身も葛藤を感じていて、東京から出張でこの事業をやるのではなく、自分自身が「地方の人になろう」と決断をしたんです。 

“葛藤”というのは、どういったことでしょうか? 

当時はパンデミックの中、テレワークの普及など、人々の働き方に大きな変化があった頃でした。地方への企業誘致も注目される一方、誘致した企業が土地に定着できず、補助金が切れたら撤退する事案があることを知りました。その時「私がこの事業をやればやるほど、悲しむ人が増える可能性があるのかな」と思ったんです。 

「悲しむ人が増える」とは、なぜでしょうか? 

前回のコラムでもお話をしましたが、誘致した企業が撤退するということは、その企業で働いている人の仕事がなくなり、失業者が生まれてしまうんですよね。せっかく誘致をしたのに、結果として誰かが悲しんでいる。そんな切ない話はないなと思いました。しかし企業誘致をやらなければいいのかと言えば、それは違うなと。 

企業誘致は必要だと考えておられたのですね? 

はい。企業誘致は、地方のデジタル化を進めたり、若者がやりたい仕事を生んで地域に人を定着させることで、人口減少を緩やかにすることができます。また一次・二次産業を活性化していくような企業を誘致できれば、地域が良い方向に向かっていく。持続可能な社会を目指していくために、企業誘致は必要だと考えていました。 

企業誘致の必要性は感じつつも、現実は違っていたんですね。 

そうですね。ではどうすればいいんだ?と考えた時に、ただ地方に企業を誘致して終わりではなく、「進出企業と、地域の企業や住民をつなぐ役割を担う人がいればよいのでは?」と考えました。“地域コーディネーター”というアイディアはここから生まれたんです。
そして、私自身が地域コーディネーターとなって、進出企業と地域の方々が信頼関係を築くお手伝いをし、皆が一体となって街を活性化させていく事例を作ろうと思いました。 
「日本の端から日本を元気に!」というキャッチコピーも、その時に思い浮かんだものです。 

「日本の端から日本を元気に!」面白いキャッチコピーですね! 

当時400以上の地方自治から相談を受ける中で、「自分たちの町にはなにもない」と、希望を持てないでいる自治体が多くありました。しかし、そんな中でも地域の活性化を願い、懸命に仕事に取り組む自治体職員の方々の姿を見て、希望となるモデルを作りたいと思ったんです。「自分たちもできるんじゃないか」と思えるような“勇気を与える場所”=日本の端っこがいいかなと。 

熊本県・天草市を選ばれたのは、どのようなご縁だったのでしょうか? 

私の考えを聞いてくださった天草市役所の職員の方が「天草で一緒にやることはできませんか?」と声をかけてくださったのがきっかけです。実際現地へ足を運んでみると、電車は通っておらず、熊本市から約2時間かけて車で向かいました。まさに西の端の離島という印象でしたね。 

西の端の離島! 天草はどんなところですか? 

とてもいいところですよ! 潜伏キリシタン関連遺産が世界遺産として登録されていたり、野生のイルカに出会えたり、『天草エアライン』という“日本一小さい航空会社”の異名を持つ航空会社があったりと、魅力あふれる天草に心惹かれました。 
「地方自治体の希望となるモデルをここ天草から作ろう」、むしろ「天草を元気にできなかったら、どこに行っても無理だ」と、天草の海を眺めながら思ったのを今でも覚えています。そして私も、東京から天草への移住を決意しました。 

大矢さん自らが、天草へ移住された理由は? 

私自身が想い描いた描いた事業なので、誰かに頼むのではなく、自分の人生をかけてやろうと思ったからです。東京に家族がいるので、単身で天草へ行きました。 

単身で天草へ! 不安はなかったのですか? 

周りの方からは「よくそんな決断ができましたね」と言われますが(笑)、前回までのコラムでお話ししたように、これまでのたくさんの出会いや経験が現在に繋がっているんです。それぞれの場所で自分の使命を全うしようとする方々を見て、「自分にも何かできるんじゃないか」と思っていました。不安がなかったと言ったら噓になりますが、それ以上の使命感のようなものがありましたね。 

これまでの大矢さんの経験や想いが、天草と言う地で形になっているのですね。 

今振り返るとそうですね。現在は天草へ進出してくださった誘致企業が、現地企業になることを目指して活動しています。地域に根差し、地域から愛される企業になって、天草を盛り上げてくれたら嬉しいと思っています。 

熱い想いを胸に、天草の地で地域コーディネーターとしてのスタートを切られたのですね。 
ありがとうございます。 

今回は、大矢がライフワークとして活動している地域コーディネーターとしてのはじまりや、天草への移住について語っていただきました。
次回は、ほとんど知り合いもいなかった天草の地で、地域の方々との信頼関係をどのように構築していったのか、といったお話を伺います。 
お楽しみに! 

直方での初の大型案件、そして人生を変えた出会い

みらいの地域コーディネーター大矢に、地方創生について「広く熱く」語っていただく当コーナー。
今回は、大矢が初めて自治体の大型事業に携った際のエピソードについてお聞きします。
現在の地方創生事業の根幹となっている多くの学びを、このプロジェクトから得たそうですが、どのような出会いだったのでしょうか? 

初の大型案件を担当されたのは、どちらの自治体ですか? 

福岡県北部の直方市です。北九州市に隣接する人口5万人ほどの市で、明治時代以降は石炭の産地として栄えたところです。日本の産業発展・近代化に貢献してきた歴史ある市ですね。 

お仕事をされたのはいつ頃ですか?

2020年です。直方市役所の方から「IT企業を誘致したい」というご相談をいただいたのがきっかけで、企業誘致とデジタル人材育成に関する提案をしました。 

気になる結果はいかがでしたか? 

私自身が行政と大きな仕事をするのが初めてで、手探りで始動した案件でしたが、結果的に半年間で6社のIT企業誘致を行うことができました。 

初めての事業で幸先の良いスタートでしたね。 

当時、地元の新聞やテレビなどにも取り上げていただきました。直方市との事業は、実績だけでなく、私にとって、とても思い出深いものなんです。現在の地方創生事業でも大切にしている4つのことを、ここで学びました。 

「地方創生事業を行う上で大切なこと」といいますと? 

1つ目は、当時の直方市役所の担当職員の方が、この事業が終了する最後のミーティングで話してくださった言葉です。かつて炭鉱の町として栄えた直方市は、閉山後は活気がなくなり、駅前の商店街もシャッター通りになっていました。そんな中、誘致した企業がテナントに入ったことで、シャッターがいくつか開いたんです。その様子を受けて「市役所内の皆がこの事業に関心を持ってくれたことが一番嬉しい」と。 

市職員の方の言葉からどんなことを感じられたのですか? 

“結果を出すことの大切さ”です。「自分たちが描いた事業を認めてもらうためには、結果を出すことが一番大切だ」と職員の方がおっしゃっていて。それが何よりの証明になるということを肌で感じましたね。 
それから、市役所の職員の方でもうひとり、私の人生を変えてくれた方との大切な出会いがあります。 

大矢さんの人生を変えるほど!
どんな出会いだったのでしょうか? 

直方市との事業は、まさにコロナ禍真っ只中に行われたのですが、行動制限も多い中で「なんとかこの街を盛り上げたい!」と懸命に動いておられた職員の方がいたんです。
その姿は私の仕事観にも大きな変化をもたらすほどでした。しかし最後のミーティングで、その方がすごく落ち込んだ様子で……。お話を聞くと、次年度から部署が異動になってしまうそうで「せっかく6社もの企業が直方に来てくれるのに、自分が異動するのが悔しい」と――。その姿を見て、私の中の考え方が大きく変わりましたね。 

大矢さんにとって、どんな変化があったのでしょうか? 

私がこの先もこの事業をやっていくということは、直方市の職員の方のように熱い思いを持った方たちと一緒に仕事をするということ。そんな方たちに恥ずかしくない事業をやっていきたいと思うようになりましたね。 

直方市役所の方々の姿が、地方創生事業に本腰を入れるきっかけになったのですね。 

たとえ企業を誘致できたとしても、補助金が切れたり、土地に馴染めなくて企業が撤退したりするような誘致だと、その企業で働く人たちの生活に支障が出てしまいます。「企業誘致は人の人生を大きく変えるんだ」と思った時に、私の考え方が変わりました。これが地方創生事業を行う上で大事にしている2つ目の気づきです。
このことに気づいた時、「地方創生は、東京からたまに出張した位で実現できるものではない」「自分が地方の人になろう!」天草を拠点にすることを決意したんです。直方市の職員の方々との出会いがなければ、私は今、天草でこの事業をしていなかったと思います。 

素敵な出会いだったんですね!他にも直方市での印象的な出来事はありましたか? 

地元の工場の社長・藤本さん(仮)との出会いも印象的でした。視察ツアーで工場を訪問させていただき、夜の懇親会でも一緒に盛り上げてくださって。「直方はいいところだから、この町にきたら俺になんでも相談して」って言ってくださり、進出する企業にとっても、とても心強い存在だったと思います。
私が地方創生事業で大切にしていることの3つ目、「信頼できる地元の方と繋がること」を教えてくれた出会いでしたね。 

その土地のことは、その土地の方に聞くのが一番なんですね。 

その通りです。一方で、地元の方だからこそ見逃している魅力に、私たちが気づくこともありました。直方市には『石炭記念館』という施設があります。実は、当初は視察ツアーの工程に入っていなかったのですが、町の歴史を伝えたいと考え紹介することになりました。
ツアーでは館長さんが、「直方市が明治時代~戦時中、石炭でいかに日本を支えてきたか」といったお話をしてくださいました。その熱い思いに共感した企業の方が「コロナ禍で社会が閉塞的になっている今だからこそ、直方から日本を勇気づけたい!」との動機で進出を決められたということがありました。 

大矢さんの一言がなかったら、その進出はなかったかもしれませんね。 

私が地方創生事業で大切にしていることの4つ目、「地元にとっての当たり前は、外から来た人にとっては当たり前ではない」ということも、直方市での経験から学んだことなんです。 

直方市での数々の出会い・学びがあったからこそ、現在の地方創生事業があるのですね。 
ありがとうございます。 

今回は、大矢が初めて本格的な地方創生事業に携わった直方市での、人生を変えた出会いや、現在の地方創生事業で大切にしていることの原点について語っていただきました。 
次回は、東京出身の大矢が「自らが地方に行こう」と決意し、二拠点生活を始めた時のお話を伺います。
お楽しみに! 

初めての自治体仕事と小諸のひなちゃん 

みらいの地域コーディネーター大矢に、地方創生について「広く熱く」語っていただく当コーナー。
今回は、大矢が初めて自治体と仕事をした時のエピソードについてお聞きします。
ある職員の方から、地域で活動する際に一番大事な姿勢を学んだそうですが、どのような出会いだったのでしょうか?

初めての自治体仕事は、どちらでされたのですか?

長野県小諸市です。軽井沢の近くで、浅間山の南斜面に広がる高原都市です。市内中央に千曲川が流れる自然豊かなところです。 

お仕事をされたのはいつ頃ですか?

2020年の夏、新型コロナウイルス感染症の影響で経済状況が悪化し始めていた頃ですね。地方では、もともと人口減少による様々な課題がある中でパンデミックが起こり、「何か手を打たなければ」という危機感が高まっていた時期だったと思います。
一方で、ライフスタイルにも変化があって、首都圏を中心に地方移住への関心が高まり始めた頃でもありました。 

どのようなお仕事をされたのでしょう?

小諸市の人口拡大に向けた調査と戦略立案に携わることになりました。
「まちのどのような魅力を発信したら人を呼び込めるのか」といったことを探るプロジェクトですね。移住体験ツアーを企画することになったのですが、まちを知らないとなにも始まらないので、最初に市役所の職員さんと一緒に、市内の色々な所を回りました。 

市役所の職員の方と?

そうです。ひなちゃんの愛称で、地域の方々にとても親しまれている若い職員さんだったのですが、市内の魅力的なところをたくさん案内してくれました。 

どんなところを案内してもらったのですか?

有名どころで言うと、小諸城ですね。城郭が城下町よりも低い位置にあることから「穴城」と呼ばれていて、桜の名所でもあるお城です。加賀藩前田家が江戸に向かう際に通ったという北国街道沿いも案内してもらいました。街道沿いで行われる町おこしプロジェクトなんかも含め、「東京の人達にこんなところを案内したら面白いと思いますよ」とひなちゃんから教えてもらい、移住体験ツアーの企画を一緒に詰めていきました。
そんな中で一番印象的だったのが、トマト農家さんでの出来事です。

トマト農家さん?

移住体験ツアーで、トマトの収穫体験をさせてもらえることになりました。
みんなでトマトを収穫して、採れたてのトマトでサンドッチを作って畑で食べるという企画を実行できることになったんです。振り返ると、トマト農家さんにツアー開催を受け入れもらえるというのは、すごいことだったなと思うんです。ひなちゃんがいたからこそ、実現できたんだなって。

それは、どういうことでしょうか?

当時、コロナ禍真っ只中だったんですよね。
トマト農家さんのお話によると、ツアー参加者の中からコロナ患者が出たら、収穫したトマトだけでなく、農園全部が出荷停止になってしまう恐れがあるとのことでした。それを聞いて、リスクを承知の上で、今回のツアーの受け入れをしてくださったことに、頭が下がる思いでした。

ひなちゃんだからこそ、開催ができたというのは?

トマト農家さんに「どうして、そこまでして、今回のツアーを引き受けてくださるんですか」ってお伺いしたんです。そしたら笑いながら、「いや、もうひなちゃんに頼まれると、断れないんだよ」っておっしゃっていたんです。

ひなちゃんの人望が農家さんを突き動かしたんですね。

小諸城をひなちゃんと一緒に歩いていたときも、その公園内を整備している植木屋さんが手を止めて、すっと立ち上がって、「おお、ひなちゃん!!」って声をかけるんですよ。すごく愛されているなと感じましたね。

どうして、ひなちゃんはそんなにも地域の方から愛されているんだと思いますか?

とにかく地域のためになることは、断らずに、やってみる、そんな姿勢が地域の方の心に響いているんじゃないでしょうか。例えば、消防団に入っていたり、地元の部活動のマネージャーをしていたりね。呼ばれると土日でも飛んでいくんですよ。ひなちゃん自身も、いくつの地域団体に所属しているのか分からないと言っていました。地元の方々も、ひなちゃんが日頃から地域のために汗水垂らして行動している姿を知っているんですよね。だからこそ、「ひなちゃんの頼みなら・・・」と受け入れてもらえるんだと思いました。

ひなちゃんだからこそ、地域の方が協力をしてくれるんですね。

そうですね。ひなちゃんと行動を共にして、まちづくりの基礎は、地域に愛されることなんだと学びました。自分がその地域で何か事業をしたいと思った時、これは地域のためになるはずだと、どんなに絵を描いたとしても、地域の方との関係性がないうちは前に進まないんですよね。なぜなら地域を作っているのはそこに住んでいる方たちだから。そんなことを、ひなちゃんに教えてもらいました。

ひなちゃんからの学びが、大矢さんの活動姿勢の根底にあるということですか?

ありますね。地域を活性化するためには「まず自分が動く」というのを指針に活動していますが、これはひなちゃんの姿から確実に影響を受けています。協力者は待っていても現れなくて、まずは自分が一生懸命取り組むことで、自ずと道が開けていくのだと思っています。

ひなちゃんに出会ったからこそ今があるのですね。

間違いないです。自治体にはこんなに素晴らしい方がいるんだなって感動しました。初めての自治体仕事をひなちゃんとできたことは、私にとってすごく大きな経験でしたね。

素晴らしい出会いだったのですね、ありがとうございます。

今回は、大矢の地域コーディネーターとしての活動姿勢に大きく影響を与えた、ひなちゃんとの出会いについて語っていただきました。 
次回もまた、現在の地方創生事業を形づくる大切な気づき、そして出会いについてお話いただきます。
お楽しみに!  

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